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道に迷ったことがあるだろうか。整然としたオフィス街を歩いていたはずなのにふと見つけた「和な空間」。 オフィス・マンション、無機質化した街の中にも「和な場所」は必ずある。 そんな忘れ去られた和を探す連載「和な場所」。今回はどんな場所で迷おうか。



上野公園生みの親、ボードウィン

時は江戸時代。三代将軍・徳川家光が江戸の丑寅(北東)の方角、すなわち「鬼門」を封じるためにこの地に寛永寺を建てたのが上野公園の始まりと言われている。
戊辰戦争時には彰義隊がここに立てこもり、伽藍は焼失、一帯は焼け野原と化した。

1870年、医学校と病院予定地として上野の山を視察した蘭医「ボードウィン」が、公園として残すよう日本政府にはたらきかけた。
その結果、1873年に日本初の公園に指定された。この事をもってボードウィンは上野公園生みの親と称されるわけだが、まさかオランダ人だったとはあまり知られていないかも知れない。

1973年、公園指定100周年を記念してボードウィン博士の銅像を建立されるものの、顔がボードウィン博士の弟のものに取り違えられていたが、 2006年、ボードウィン博士の銅像の(正しい顔への)建て替えが行われる。

一時は焼け野原と化したこの上野の地を、公園として残してくれたボードウィン。 この桜も、池も、彼のおかげだと思うと、感謝せずにはいられない。








文化の薫りを、これからも

上野恩賜公園は、明治6年の太政官布達によって、芝、浅草、深川、飛鳥山と共に、日本で初めて公園に指定された。大正13年に宮内省を経て東京市に下賜され「恩賜」の名称が付いている。

当初は、寛永寺社殿と霊廟、東照宮、それに境内のサクラを中心にした公園だった。
その後、博物館や動物園、美術館などが構築され、文化の薫り高い公園へと衣替えがされ続け、そして今の上野恩賜公園がある。
いつの時代になっても、そこに訪れる人たちは変わらない。

花を見に、言葉を語りに、思いにふける。
夏には蓮を、冬には水鳥を。そして、春には桜を見にこよう。和な場所は、いつでもあなたを待っている。



文化の杜、上野恩賜公園

今の時代、あたりを見渡せば、広がるのは無機質なものばかりかもしれない。しかし、失われずに今もなお存在し続ける場所、「和な場所」は必ずある。
普段から何気なく見ている場所が、思わぬ歴史を経て今に至っている事もある。

前回に続き、都内の恩賜公園を再び歩く。
今回は、春には桜が美しい、桜と不忍池で有名な上野恩賜公園を行く。
一般的には上野公園として知られる場所だが、実は日本でも有数の都市公園であり、歴史・文化的な施設が多数存在し、文化・芸術の集合地域となっている場所でもある。

見慣れた光景も、気分を改めて歩けばまた違う場所に見えてくるに違いない。
恩賜公園としての上野の地。
さて、今回はどんな発見が待っているのだろうか。










日本でも有数の都市公園

都内だけでない。上野恩賜公園は、日本でも有数の都市公園であり、歴史・文化的な施設が多数存在し、文化・芸術の集合地域となっている。

上野動物園をはじめ、付近に旧東京音楽学校奏楽堂などの芸術博物館、東京芸術大学、東京都立上野高等学校、東京芸大付属音楽高校などの教育施設が広がっている。 京成上野駅そばには西郷隆盛像。桜並木沿いに清水観音堂(寛永寺)、そして不忍池を行けば、不忍池弁才天(寛永寺:谷中七福神)がある。

人々の憩いの場としての公園。
しかし、慣れ親しんだ光景にこそ、見落としがちな景色がある。
たまには、普段立ち寄らない場所に行ってみるのもいいかもしれない。










上野恩賜公園 周辺情報
住所 和な場所へのアクセス
●JR・地下鉄銀座線・日比谷線
「上野」下車徒歩2分
●正式名称「上野恩賜公園」。
 花見の地として親しまれている。
 文化や芸術の集合地としても有名。
URL 上野恩賜公式ホームページ
こちら
場所



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