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和型メインページ > WEBマガジンTOP > 匠を訪ねる 第4回 飴細工師 吉原孝洋

  職人の世界は先祖代々技を受け継いでゆく。故に技を受け継ぐ者は若い頃からその世界で修行し、一生を懸けて職人業を真っ当してゆく、というような感覚が印象として離れない。筆者の他にもそう思っている読者もいることだろう。
 今回の匠は飴細工師の吉原孝洋氏。彼の家業は飴細工業というわけではないし、吉原氏自身この世界に入ったのは20代も半ばを過ぎた頃だという。彼はなぜこの"飴細工"という世界に飛び込んでいったのか。飴細工師という仕事を通して彼の生き様に迫ってみようと思う。(全3回)

日本の文化に関わる仕事をしたいと思い立ち、ゼロから始めた飴細工。

―職人になられる前は何をされていたのですか?
「イタリア料理の店で働いてました。お店を転々としてたり、思うようにいかなかったりで。当時働いてたお店を辞めて、本場でやりたいって思って、イタリアに行きました。そこで料理の勉強をしつつ向こうの文化に触れたりして過ごしていました。旅行中は色んな人とお話ししたのですが、自国を熱く語る外国の人たちに衝撃を受けたことが、日本の伝統的な仕事へと進むきっかけになりました。」
―異国の人との自国に対する考えのギャップは相当大きかったようですね。
「大きかったですね。というかショックでした。だいたい誰に聞いても自分の国が一番だ!って言ってたから。それからは料理に対する気持ちよりも、日本の文化に携わることしたいという気持ちの方が強くなっていきましたね。工芸とか職人さんの仕事、物を作る仕事がいいなと思って。」
―そこで日本料理には進まなかったんですか?
「日本料理にはいかなかったですね。料理じゃなくて違うことをやりたいって。ほんとに日本的なもの、日本でしか見れないものってことで。子供の頃に見た飴細工に、あぁすごいなっていう印象を受けたことを思い出して、飴細工の職人を目指しました。そういえば初めて飴細工を見たときに、祖母に飴細工職人になりたいっていってたらしいんですよ。自分じゃ覚えてないんですけど。」
―帰国してから実際に行動にうつすまではどれくらいかかったのですか?
「それからは早かったですよ。今32歳なんですけど始めたのは27歳のはじめくらいですね。けっこうモタモタしてられないっていうのがあったり(笑)。決めた後はひたすら突き進んで、住んでた所も引き払って、大阪の師匠のもとに弟子入りして、半分住み込みでしたね。」
―どのような方法で弟子入りされたのですか?
「飛び込みですよ。調べて電話して行って、弟子にしてくださいって(笑)。弟子の期間中は給料はもらえないので、すごく古いアパートに住んで、極力お金を使わないように、貯金を削りながら生活してましたね。だんだん出来るようになってくると出店で師匠が休憩に行ってくる間にお店を任されたりして、 そこで作った分はお給料としてもらえるのでなるべく早く、一つでも多く作るのが大事。それが一番の糧になりましたね。」
―道具はどのようにして揃えていったのですか?
「昔のものは手に入らないですし、弟子の頃はお金がないので、自分で作ってましたね。引き出しも全部。」



    


お話を伺いながらもあっという間に作品を作ってくださった吉原氏。ウサギは飴細工の基本で最初に練習するのだそうだ。
左:吉原氏が自ら作った専用の道具箱。ここからいくつもの作品が生み出される。
右:各種大きさのある中から厳選されたハサミたち。繊細な飴細工作りには不可欠。
―吉原氏は海外に飛び出したことで、改めて日本という国の文化や伝統を見直すことができたのかもしれない。実演を拝見し、お話を伺うことで 吉原氏の飴細工師に込める思いが伝わってきた。
次回は修行を終え独立してから現在に至る吉原氏の活動に迫ります。

11月8日(木)更新。お楽しみに!



吉原孝洋(よしはらたかひろ)
飴細工師
1975年 6月22日生まれ
2004年 独立

 あめ細工 吉原
住所 千葉県浦安市富士見3-13-15-205
各種メディアやイベントでの実演から飴細工教室まで幅広く活躍中。子供から大人まで楽しめる飴細工の実演は必見だ!
お問い合せ・ご依頼はこちらまで 
URL 047-305-0251
http://ame-yoshihara.com/
場所

 


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