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和なクリエイター 錺屋銀樂 原田純一

彫金や七宝などの日本の伝統工芸を取り入れながら、古さと新しさを融合させた未来形和風シルバージュエリー「錺屋銀樂」。繊細さの中に日本の四季やぬくもりを感じるジュエリーを生み出す原田純一さんに、彫金と「手づくり」に対する想いについてお話しいただいた。

伝統が生きる彫金の技術

「彫金(ちょうきん)」とは、たがね(鏨)を用いて金属を彫ること。日本の彫金技術は古くは古墳時代の装身具と言われ、その後、刀剣、甲冑などの装飾へと姿を変え、江戸時代には「錺(かざり)職人」と呼ばれる人びとが仏壇やおみこしなど、仏具や神具を飾る金属のかざりを制作した。江戸明治以降は茶道具、額、置物、花瓶などに用いられた。現在その技術の多くはアクセサリーなどの装飾品に受け継がれている。

「錺屋銀樂」原田さんが 彫金と出会ったのは1995年のこと。印刷屋で写植の仕事をするかたわら、「自分の手でものを作る」ことに興味を持ち、趣味で彫金学校へ通い始める。印刷屋を辞め、彫金学校のインストラクターとして働きながら彫金を学び、2005年に独立した。

原田さんの作品の特徴として、彫金と七宝の組み合わせがある。繊細な彫金に七宝の色が入ることによって、モチーフとなっている日本の四季が絵画のように表現されている。

銀を彫る道具「鏨(たがね)」。太さや先端の形が違うものが50〜100種類あり彫る形で使い分ける。すべて先を研いで手作りしたもの。使い終わるたびにこまめに研いで手入れも欠かさない。
左)「オタフク」と呼ばれる金槌。柄は樫の木を使いやすいように削って自作したもの。右)「ヒートフォーム」という樹脂にリングをはめ、これを固定して彫刻を施す。
原田純一
1962年生まれ。
印刷会社勤務のかたわら、1995年東京七宝彫金学院 林茂樹氏に師事。その後アトリエツムラ彫金教室 津村欣一氏に師事。2005年より独立し「錺屋銀樂」を始める。

「手づくり」へのこだわりと想い

原田さんが作るアクセサリーは、最初から最後まで文字通り「手作り」されている。「ささぶき」という粒状の銀を溶かして鉄の溝に流し込み延べ棒状の鋳型を作る。それを金槌でたたいて延ばし、ローラーで同じ厚みにする。これで初めてアクセサリーのもととなる地金が出来上がり、これを丸めてリングにしたりとさまざまな形に加工する。この方法だと一日にせいぜい1個か2個くらいしか作れない。

「量産が悪いというのではないけれど、自分は最初から最後まで一から自らの手で作業し作り上げている。お客さんから見れば、その工程は分からないかもしれないし、人からは非効率だとも言われるけれど、『手作り』と言うからにはそこはこだわっていきたいところで、出来上がったものにそれが表れるのではないかと思っている。出来上がったものを見ていただいて、それをいいと言ってくれる人がいればそれでいい。お客さんからお礼のメールをもらったり、彼女へのプロポーズに自分の指輪を使ってくれたというような話を聞くのが一番嬉しいですね」と話す原田さん。

職人さんがいなくなる現実

「彫金」も昔は師弟制度があり、師匠が弟子を育てて技術を伝えていくという世の中の仕組みがあった。今は、職人さんも食べていくのが精一杯で弟子を育てる余裕がない。今の時代に「丁稚奉公」などは合わないので、ますます伝統工芸が廃れていってしまうことを危惧している原田さん。日本の伝統工芸、モノ作りを復活させて技術を伝えていくために、少しずつでも自分でできることをやっていきたいという。

「作ることが好きで楽しいから続いている。大変だけど辞めたいとは思わない」と自然体でお話ししてくれた原田さん。彫金や伝統工芸に対する想いは確かな技術という形で作品に表れている。

あなたにとっての「和」とは?

昔の日本人が持っていた礼儀だとか、健気ではかない感じや潔さなど、今の日本では無くなりかけている感覚を持ち続けていたいと思う。日本人だから持っている感性を作品の雰囲気で感じられる物をつくっていきたいと思う。

リング  花曼荼羅

チベット仏教画 曼荼羅よりインスパイアされたリング。カットされた部分が輝いている。15,645円

リング  花火

彫りを施した跡に七宝を焼き込みカラフルな花火を表現したリング。14,595円

リング  花

日本古来の帯留・かんざしなどに見られる地金の切り出しによる立体的な彫金リング。17,900円

ピアス  鶴

羽ばたく鶴をイメージしたピアス。羽の一枚一枚が細かく表現されている。14,595円

錺屋銀樂 かざりやぎんらく
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